普通を知っておく事は大切

皆さんどうも!!

 

引き続き「人付き合い」をテーマに今回も書かせていただきます。

 

 

早速ですが、前回の後半に「周りより劣っている人の方が問題が深刻になり易い」と書きましたが、

 

その理由は、

 

相手の苦手な事や、失敗した事という弱みを握り、圧力をかけやすいし

握られた方は「自分が悪い、、、」と考え委縮し、更に周りが「本人が悪いからしょうがない」と思いやすいからです。

 

例えば

 

「あいつのせいで負けた」

「あいつのせいで怒られた」

「あいつは臭い、汚い」

「あいつは自分勝手だ」

 

等の感情が生まれる状況、皆さんは経験ありませんか?

そしてそれらが理由で刻ないじめへと発展したのを見たことがある人、いますよね?

ぼくも見聞きしてきたし、残念ながら大人になってもあります。

 

最近では、大人の世界で「パワハラ」という言葉が良く出てきますが、パワハラはただのいじめですよ。

 

そして「自分も同じ目にあいたくない」と見て見ぬふり、更には同調し加わる、、、

 

これは子供の世界の構図と同じです。

大人といっても法律上年齢が達し大人と呼ばれる様になっただけで、中身は子供の頃とあまり変わっていない大人は多いと思います。

 

僕自身、大人になってから学んだ事、変わった事たくさんあります。

 

なので子供たちには「大人も悪い事してる、だから自分もやって良い!」という考え方はもたないでほしい。

 

大人を見本にする気持ちは分かります。

僕も色々影響を受けてきたし、その中には悪影響もありました。

 

だから、大人を見る時に

「一人の人間としてどうなのか!」

という見方をしてほしいです。

 

法律面や道徳面から見て、見本として良いのかを見極めてほしいです。

 

 

大人は全体的に見て、子供たちが思っているほど素晴らしくはないです。

しかし「それではいけない」と学び、変わろうとする大人もいます。

 

とにかくどの様な大人と出会い、見たとしても「一人の人間」として見てほしい!

 

これは、大人同士でも同じですよね。

その様な見方が出来ないから「差別」が生まれ分裂していくのです。

 

いじめにせよ、差別に大人のその考え方や行動を見て、子供は真似てしまいます。

 

今でもずっと大人は子供に悪影響を与え続けています。

大人も大人同士で悪影響を与え続けています。

そして争い、分裂し新たな被害者を生み続けています。

 

僕はこれを少しでも多く善影響をと変える努力をしていきますので、皆さんも何らかの形でご協力よろしくお願いします。

 

 

では、タイトルの話に移りますね。

 

 

皆さんは、間違える事なく「普通」を使いこなせてますか?

つまり、常識や価値観は一般的に見てズレていませんか?

 

ちなみに普通とは

「珍しくない事」、「ごく当たり前な事」、「他と変わっていない事」

です。

 

では普通「ごめんなさい」や「ありがとう」はどんな時に言いますか?

皆さんはちゃんと言っていますか?

 

人付き合いの中で、この2つを言えるか言えないかでは天と地の差があります。

 

 

一般的に、ごめんなさいはプライドや価値観の違いで言えない、言いたくない時もあると思います。

 

しかし、その様な時に「嘘でも」いう事は大切です。

その謝罪一つで物事の進む方向、進み方も変わる事は多いです。

 

たとえ自分に言い分があったとしても、まずは初めに謝る、わざとじゃなくても他者に迷惑や手間をかけたのなら素直に認め謝る。

 

大切な事は「逆の立場ならどうしてほしいか」だと思います。

そのことを日頃から重視していれば、「謝る事の大切さ」に気付くと思います。

 

 

しかし!!

 

さきほど「嘘でも」と書きましたが、嘘だとバレバレだと余計に炎上するので気を付けてください!

 

そして、勿論全く関係の無い事には謝る必要は無いでしょう。

 

 

 

「普通を知っておく事の大切さ」

 

皆さんはどう考えますか?

 

僕は

「普通を知る」=「自分を知る」

と考えています。

 

つまり、自分の礼儀作法や能力、物事への考え方や言動、生活環境等が周りと比べてどう違っているのかをしっかり自覚する事です。

 

普通を知るためには、他者を見なければいけません。

直接関わる事も必要です。

 

普通になろうとするのも、普通ではなくなろうとするのも、周りと比べて自分がどう違うかを自覚していなければ正しく選択できません。

 

世の中「普通ではない」という理由で何らかの問題が起きることもありますが、

 

問題が起きたからといって、必ずしも普通にならなければいけない訳ではありません。

 

 

そして大事な事ですが、

 

「普通ではない事が全て罪になるわけではありません」

 

先天的でも後天的でも、心身に普通と違う部分があっても、服装に違いがあってもそれ自体が罪ではないです。

 

なのに、世の中にはその事を分かっていない人が多い、、、

 

ちなみにぼくは「普通でない部分」があります。

そのことで悩んで、苦しんで、闘ってきました。

 

過去にはとにかく「普通になりたい」と強く思っていたし、そうなれない現実がとても辛く悲しかったです。

自傷行為、嫌がらせ、経験しましたし、何回も死のうと思いました。

 

今でも「生きるって大変だな」と思うことは多いです。

 

 

でも、「あの時死ななくて良かった」と思えています。

 

今何かしら発信しているのも、そう思える理由の一つです。

 

だから、生きようともしているし、「周りに生かされてる」と言っても過言ではないですね。

 

そして今、普通ではない事をしている訳ですからね、、、

本当に人生は何が起こるか分からないですよ。

 

 

話変わり!

 

「人付き合いはほぼ鏡の世界①」の冒頭で書かせていただきましたが、僕はコミュニケーション能力が高いです。

keishinochiai.hatenablog.com

 

しかし、生まれつき今の能力値を持っていた訳ではありません。

無理して笑ってきた事も山程あります。

 

多くの事を我慢し、許し、時には激しく怒り、反省し後悔してきました。

 

 

普通と比べると子供の頃から能力値は高かったと思いますが、他者うまくやっていく為の努力はしてきました。

 

やはり人間、争い無く共存していく為には、それぞれがその為の努力をしなければいけません。

 

 

では、今回は3回に渡り「人付き合い」をテーマに書きましたが、少しでも誰かの役に立てれば嬉しいです。

 

 

次回から予定どおり、「いじめ」をテーマに書き、被害者を救う為の提案をします。

 

その提案、きっと多くの人を救うことになります!

自分たちで現実を変え、未来を創るんです!

 

拡散してください。よろしくお願いします。

 

 

では、日々お疲れ様です

 

※1回目の発信で「つなぐ運動」という社会貢献について書いています。

参考にご覧ください。 

keishinochiai.hatenablog.com