難しいからこそ得られるモノに価値がある
初めまして、落合勁心(おちあいけいしん)です。
突然ですが、僕は今ある社会貢献に取り組んでいます。
それについて約2年前から本気で考え取り組んできました。
その2年の中で得た協力者と共にこの度ブログを始めましたが、僕はある事情があり自分の力で書くことが出来ません。
この文を書き、発信するまでにも凄く苦労があります。
それでも自分が何か変えられるのであれば挑戦したいので、協力者の力を借りて少しでも多くの方にこの取り組みを知ってもらい、新たな協力者を得ていく為に今後も更新していきます。
それと、今回の文は凄く長くしてますし、初心者なので読みにくい部分が多いと思います。
なので、1回で読み切れなかった時はまた興味が向いた時に読んでいただけると嬉しいです。
では本題ですが、その取り組みというのは「つなぐ運動」です。
他者からの恩を相手に返すだけで終わらず、別の誰かに自分なりの恩を繋げて、それを受けた人も同じ様に誰かにつなげていき、今よりも「喜び・幸せ」を感じる人が増えていく社会にするための運動です。
今の社会では「つなぐ」意識は当たり前ではなく、相手に返す事が大切であり、必要な事だと考えられています。
勿論、恩返しはとても大切な事ですし、僕も続けていきます。
皆さんは恩を感じた経験はありますか?思い出してみてください・・・
日々の生活の中で感じた小さい恩、一生忘れないと思える大きい恩、人それぞれ形の違う恩を受けてきたと思います。
では、その恩を感じた時の気持ちはどうでしたか?
嬉しかったり、幸せを感じたり、相手の好感度が上がったりと、基本的には恩を通じて生まれる感情は平和的で温かいモノではなかったですか?
人によっては他者への優しさが強まったり、今の自分から変わりたいと思えたり、恩返しの為に頑張れたりしませんでしたか?
この様に「恩」には多くの物事を良い方へと進め、時には他者の人生にも大きく影響を与える程の強い力があります。
僕自身、大きな恩を受けた事がきっかけで、自分の人生や存在を見つめ直すと同時に、恩について、大切な人達について、他人について、平和や世界について考え始めました。
それから毎日考え続けて「つなぐ運動」へと考えがまとまりました。
僕はこのブログを通じ、まずは「つなぐ」という意識を日本中に広め、次は世界へと広めたいと考えています。
つなぐ運動では実践が大切な行動ではありますが、例えば、これを知らない友人を助けて「恩をつなげて!」と突然頼んだところで、良い返事は期待できません。
偶発的に他人を助けた時に足止めしてそんな話が出来ますか?
もし出来たとしても困惑される可能性は高いでしょう。
ですが、広げて多くの人に認知されていて、なおかつ共感者がどれ程いるのかが知られていれば、次につながる可能性は高くなっていると思います。
その為にはまずより多くの人にこの運動を認知してもらう必要があります。
この運動に共感し、協力したいと思う方がいたら、まずはこのブログを広げる事に専念していただきたいと思います。
更に、この運動の先に大きな目標があります。
それは
「人種・国境・宗教や、その他の境遇関係なく、思いやり、助け合いが増えていく社会」
にする事です。
勿論これはとても難しい事です。
安易に踏み込んではいけない問題もあるという事を2年の間に知りました。
まだまだ勉強不足ですし、正直身近なところでも解決方法がわからない問題があり過ぎて何回も心が折れそうになりました。
ですが、誰でも出来る事には限界があります。
自分に出来ない事が他者なら出来るかもしれないし、他者に出来ない事が自分なら出来るかもしれない。
そうやって助け合っていけば良いと思っています。
今年、ある企業の社長が1億円をプレゼントする企画を実行しましたが、僕は素晴らしい事だと思います。
否定的な意見は多かったですが、その行動で多くの人に喜びや幸せが生まれたと思うからです。
全てを把握している訳ではありませんが、選ばれた人たちはそのお金を、その場限りのただの娯楽に使う為に求めた訳ではないし、「誰かの為に」という考えで動いた人もいたはずです。
「やらなくてもいい、でもやった方が誰かの為になる」
こういう行動は子供から大人まで全ての人に出来る事です。
人それぞれ境遇が違うので、自分に出来る事を見つけてほしいと思います。
僕は金持ちではないので同じ様な貢献は出来ませんが、この様に自分に出来る事をしています。
こういう大規模な事を実行する行動力や勇気があります。
協力者がいて、他者を想う強い気持ちや色々な善と悪の経験があります。
全ての事含め、「自分に出来る事、自分だからこそ出来る事」が必ずあるので、見つけて今後少しずつ実行してほしいと思います。
しかし世の中には「ありがた迷惑」という問題があります。
自分の好意や親切が必ずしも相手から感謝されるとは限りません。
この「つなぐ運動」に触発されて、誰かに親切な行動をとったら迷惑がられてしまった。
こういう事態は起こると思います。
そんな時はその経験を次に活かしてください。
どういう人にどういう状況でどういう事をしたら迷惑なのかは、経験と共に分かるようになります。
見極めるのは難しいですが、完璧な人間はいません。
僕も日々反省と勉強です。
それと、この運動は決して「恩を売る」のではありません。
相手から恩返しが無かったり、感謝されなかったりしても怒らない方が良いし、恩をつなぐかどうかは相手が決める事なので、強制してはいけません。
恩の形はそれぞれ違うという事をよく理解しておいていただきたいのです。
自分にとって大きな恩をつないだとしても、次にそれと同等の大きさでつながるとは限りません。
それに、ある人には小さいと思う恩の形でも、ある人には凄く大きな恩だと思うかもしれません。
この様に人それぞれ出来る事が違うという事を忘れないでいただきたいです。
長くなってきたので一度話をまとめます。
僕は今後
「人種・国境・宗教や、その他の境遇関係なく思いやり、助け合いが増えていく社会」
にしたいです。
肌の色や言葉の違い、生まれた場所や育った場所、宗教の違い、病気や障害、LGBT等々、ただそうだというだけで嫌悪したり、攻撃し争いを生む、そういう事を減らしたいです。
そういう社会につながる様に、喜びや幸せを生み、時には人の気持ちを大きく変化させる程の力を持つ「恩」を使います。
他者からの恩を相手に返すだけで終わらず、別の誰かに自分なりの恩を繋げて、
それを受けた人も同じ様に誰かにつなげていき、今よりも「喜び・幸せ」を感じる人が増えていく様にする。
「つなぐ運動」
この運動にどの様な意味があるかを知ってもらい、実践から次につながる可能性を上げる為に、より多くの人にこのブログを読んでもらい認知してほしいので、共感したり協力したい方にはまず広げる事に専念していただきたい。
という事です。
きっと日本だけでなく世界中に同じ様な思いを持った人達がいるはずです。
この時代ならその人達がどれだけいるかを色々な方法で知る事が出来ます。
シェアやイイねやコメント、ブログや動画配信、色々な方法で共感を表す事が出来るので、皆さん、何かしらの方法で共感を表し一度世界中にどれだけの共感者がいるのかを一緒に見てみませんか?
人間、正しいと分かっていても共感者や参加者が少ないと不安になったり止めたくなりやすいです。
逆に多いと大胆になれたり安心もします。
共感者の数を可視化する事は現実を知る上でとても大切な事です。
予想以上の数かもしれないし、逆に失望するかもしれないけれど、僕は知りたいです。
今の時点での共感者の数や気持ち、共感者の数を見て気持ちが変わった人の数や、
気持ちを知りたい。
今までの辛い経験や世界中で起こる悲しい出来事を見聞きしたせいで信じる気持ちが弱まった人は大勢いるはずです。
ですが、本当はどう思っていますか?
出来る出来ないじゃなく、まずは
「本当はどういう社会で生きたいか、生きたかった」
を考えてみてください。
もし少しでも共感出来たのなら、一緒に信じてみませんか?
今後も必ず人の心には嫉妬や怒り、嫌悪や憎しみ、苦しみや殺意といった感情が何かしらの理由で生まれるでしょう。
それは仕方のない事です。
そういう感情が生まれてこない人はいないと思います。
しかし、この運動を通じて生まれにくくする社会の流れを作る事や、その感情を力とし他者を攻撃する前に消化出来たり、それを手助けする人が増える社会にする事は可能だと思います。
難しい事をしているのは分かっています。
このやり方や伝え方が良くなくて失敗することもあるとは思いますが、僕はこの思いや取り組みを人生の軸にすると決めました。
もし失敗してもやり方を変えて、必ずまた、いつか皆さんに呼びかけます。
世界の事を知るには言語の壁があるので時間がかかると思います。
翻訳機能を使えばある程度正確に訳せるとは思いますが、若干の違いはあると思うので、そういうところをより正確に直して、日本以外の国でも読まれる様に協力していただける方がいれば、どうかよろしくお願いします。
今後も状況に合わせて更新していきますが、始まりに書いた様に自分の力で書けませんので、頻繁に更新する事は難しいし、返事にも時間が掛かると思います。
ただ状態が良くなれば自分で書ける様になると思います。
正直時間はかかりますが少しでも早くそうなれる様に努力しますので、こんな僕のブログですが今後も見ていただけると嬉しいです。
最後に、この先どれだけ時間が掛かっても恩を繋ぐ意識が当たり前になり、
その恩の力で人々の心が温まり優しくなり、今よりも認め合い助け合える。
そんな社会になれば良いと、心から思います。
では、最後まで読んでいただき、有難うございました。